2017.01.19 | UX

お久しぶりです。
ルグランインターンの島崎です。
さて皆様年末はどのように過ごされましたか?

私はフランスのパリを訪れていました。
パリと言えば、エッフェル塔に凱旋門、たくさんの名所がありますね。そんな中でもルーブル美術館は多くの有名作品が展示されており、美術好きではなくても、誰もが一度は訪れてみたいと思うのではないでしょうか。
「モナリザ」に「ニケ」、「ナポレンの戴冠式」、有名作品がたくさんありすぎて、ここで全部あげることは不可能なほどです。

そんな中でも、上記であげた作品同様に多くの観光客を集客するのは、片腕がない女性像「ミロのビーナス」です。

「ミロのビーナスって何であんなに人気なのだろう?彫刻としては、不完全なのに、、、」なんて、みなさん思ったことはないでしょうか?
私は初めて見た時に、正直にそのように思ってしまいました。

しかし、年を経るにつれて、美術的観点とは別に、未完全とはある一種の、人を惹き付ける魅力なのではないかと考えるようになりました。
ミロのビーナスには左手がないですよね。そして、その腕がある状態は誰も知ることがないです。つまり完成とはほど遠いのです。そのない腕の先を人は自分で想像する以外ないのです。完成度の高い絵画などと比べると、その未完全さや不完全性は、人々に「あれ?」というような感覚を残します。その感覚は完璧なものを見た時よりも、後々記憶に残り、魅力という形に変わるのではないでしょうか?

これは広告の世界でも一部、同じような事が言えるのではないかと考えます。
完全な色のバランスや目を奪われるようなスタイル抜群のモデル。このような広告は多くの人の目を引き、感動や満足感をもたらします。
しかし、近年では違った観点から広告を行う企業も出てきました。

レストランなどに行くと、どのメニューも完璧なまでの加工がされている完成度の高い写真が使われており、ため息をつくほど美味しそうなものばかりです。しかし、最近では、完璧に加工されている写真よりも、より共感できる、ちょっと未熟な写真を企業のブランディングとして使用することもあるのです。

sawa20170119_1

これは、Taco Bellのアメリカの公式サイトのメニューページです。

あれ?と思いませんか?
普通であれば、光の加減を調整し、商品だけを表示することがほとんどです。しかし、Taco Bellは、完璧に加工されている商品写真よりも、隣の席で、「あ〜このように友達がタコスを食べているな」、と思うような日常の写真を広告に使用しているのです。

このように、人目を引く完璧な広告というよりも、より人々に共感をもたらす、タコスを食べる自分を想像する、違う観点の言葉でまとめると、以前まで考えられていた広告よりも、より未熟で完成されていないものを使用するようになってきたということです。

完全ではない未完全さは、広告として完璧なものを見慣れている私たちに取って、「あれ?いつもと違う」という、感覚を生み出し、気づけば考えてしまうような魅力に取り付かれます。

もちろんこれが全ての広告に当てはまるという訳ではない、と私は考えます。
しかし、ある一種の広告のあり方としては、通用するのでないでしょうか。



Back to Blog Top