2016.11.04 | コラム

毎年11月になると、上司であり、友人でもあった鈴木茂人氏のことを思い出します。(鈴木氏は平成17年11月11日、渡米中に病に倒れ、現地にて享年56才にて逝去)

ネット業界で10年以上仕事をしている人達は、Overture(オーバーチュア)がどのような会社で、また、鈴木氏がネット業界に大きな功績を残した人物であることを覚えているのではないかと思います。

今も引き続きネット広告の中心的な役割をしている検索連動型広告を、鈴木氏が日本でロンチしてから、15年近く過ぎようとしています。業界は変化し続け、昨今では検索連動型広告は「運用型広告」の一つとして理解され、さらに大手代理店の「運用型広告」関連のネガティブなニュースが続いている中、15年経った今も、検索連動型広告がもたらすメリットが充分理解されていないのではと感じています。

検索連動型広告を日本に持ち込んだ一人として、検索連動型広告のロンチからこれまでを振り返ると共に、検索連動型広告のこれからについて考えていきたいと思います。まずは、検索連動型広告の日本での歴史を振り返ります。

 

オーバーチュアとの出会い

検索連動型広告は2002年11月に日本でサービスをスタート。その約一年前に、鈴木氏から「おもしろいビジネスを始めようと思うので、手伝ってくれないか」と連絡がありました。鈴木氏はアメリカの通信会社AT&T時代の上司でもあり、その後も、事ある毎に元部下として、また、友人として呼び出されてきました。鈴木氏は、おもしろいビジネスについて、また、当時カルフォルニアのパサディナに本社を置いていたオーバーチュアという会社の素晴らしさについて、意気揚々と語っていました。そして、自分のキャリアの集大成として、ドリームチームを結成し、このサービスを日本にロンチしたいとも話していました。自分にも、人にも厳しい鈴木氏が、そのドリームチームの最初の1人として私に声をかけてくれたにも関わらず、当時の私は「検索」に興味が持てずにいました。また、米国の主要メンバーがマッキンゼー出身者であったということもあり、彼らの話しはロジカルであるものの、おもしろいビジネスという印象は持てず、結局オファーを辞退したのです。

鈴木氏と仕事をした人なら分かると思うのですが、彼は目的を達成するためには、決して諦めない「しつこさ」がありました。それが、オーバーチュアが日本で成功した理由でもあるのですが、オファーを辞退した後も、オーバーチュアのビジネスについて何度も話を聞かされることになりました。また、最初に話しを聞いた2001年から2002年にかけて、インターネット業界は急速に変化し、私も検索の可能性に気づき始め、翌年の夏にオーバーチュアのマーケティング責任者として入社することに決めたのです。

 

検索連動型広告がパラダイムシフトを起こす

当時PR/マーケティングの責任者であった私に課せられたミッションは検索連動型広告の認知を上げること。まずは、このサービスを日本では何と呼ぶべきかというところから、仕事はスタートしました。

というのは、当時は「Pay for Performance(ペイ・フォー・パフォーマンス)」、「Pay Per Click(ペイ・パー・クリック)」、「リスティング広告」など、メディアによってサービスの呼び方は、バラバラでした。鈴木氏は、今後様々なメディアでこのサービスを取り上げてもらう上で、このサービスのパイオニアである自分達がサービス名を決定するべきであると考えていました。

さて、サービス名は、当時マーケティング責任者であった私が決めることになりました。サービスロンチを目指し、忙しくしていた私は、深く考えたというよりは、鈴木氏の依頼に対して「検索に連動して広告が表示されるんだから、検索連動型広告でいいですよ。」みたいな、少々乱暴な感じで名称を決定、検索連動型広告という名称でサービスが認知されることになったのです。また、2001年に初めて検索連動型広告のビジネスモデルについて鈴木氏から聞いた時とは異なり、検索連動型広告がもたらす可能性の大きさを感じ、メディアの取材に於いても「検索連動型広告はパラダイムシフトを起こす!」と、力説していました。

 

認知度アップのための戦略

鈴木氏は、検索連動型広告のメリットを伝えるためには、まずは、このサービスを理解し、積極的に販売してくれる代理店を確保することが先決だと考え、持ち前のしつこさで、当時のネット広告代理店の社長に次々とコンタクトを取り、交流を深めていました。彼らとの関係を強固なものにするには、まずは、オーバーチュアという会社を深く理解し、ファンになってもらおうと、「ネット広告代理店社長をオーバーチュア本社にお連れする旅」を企画。これがオーバーチュアの代理店戦略を成功に導く第一歩になったのです。hitomisan-1

オーバーチュア本社訪問:

写真中央:日本はアメリカに次ぐ市場になると期待を寄せていた当時のCEO、Ted Meiselと代理店施策はオーバーチュアジャパンの発展の要となると考えた鈴木氏。そして、当時から検索連動型広告広告に可能性を感じて下さっていたネット広告代理店代表の皆さん。

 

Searchが実現してくれることを伝えるために

検索が生活の一部になっている今では、考え難いことですが、当時は検索連動型広告がもたらすメリットを伝えるための方法について常に模索し、サービスを訴求するポイントを見つけ出そうと、実際にサービスを利用している広告主の声を聞こうと顧客リストから、面白そうな広告主を見つけては取材に行っていました。担当者の方に検索連動型広告を利用している理由や工夫をインタビューすることで、訴求ポイントが見えてきたり、また、広告主の皆さんのバックグランドやお人柄など、検索というデジタルなものを上手に使うためには、デジタルとは真逆のアナログな部分が必要であることが分かったりと、常に新しい発見があり、事例取材はマーケティングチームの重要、かつ、楽しい仕事になっていました。当時、アスキーの記者をしていたITジャーナリストの佐々木俊尚氏に検索連動型広告がパラダイムシフトを起こしていることを事例を交えて伝えると、興味を示して下さり、検索連動型広告を利用している広告主をテーマに2006年に「検索エンジンがとびっきりの客を連れてきた!〜中小企業のWeb2.0革命〜」 というタイトルで一冊の本にまとめてくれました。

ネット先進国である米国においても、Searchがもたらすメリットに対する認知が低いことが課題であり、オーバーチュア本社ではクリエイティブチームが「think search」キャンペーンを実施。15年経った今も、オーバーチュアという社名はロゴ以外出さずに、検索がもたらすメリットにフォーカスしたシンプルなクリエイティブは検索の認知度をアップするための、最高のツールだったと思えます。

hitomisan-2

Think Searchキャンペーンのクリエイティブ:

Think about this. The most interesting prospects are the ones already interested in you.  That’s the genius of search.

 

検索連動型広告ロンチ当初は、認知度アップのために奔走。その甲斐があり、数年後には幅広く認知されるようになり、また、多くのネット広告代理店が上場を果たすなど、大きな役割を果たしてきたと言えます。

では、その検索連動型広告は、今後はどうなるのでしょうか?次回は、検索連動型広告の運用・利用の両方の観点から検索連動型広告の今後について、考えてみたいと思います。



Back to Blog Top